卑猥物〜市民権を得たアスリートまで



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  女相撲の歴史

序章 従来、日本の女相撲(女性同士の対戦形式をとる相撲) の歴史に関する研究においては、女相撲およびその担い手 の様子といった「実態史」の解明に主眼が置かれていた。 そこで本研究は、文献資料・図像資料より女相撲の語られ 方、イメージなどの表現の仕方=「言説」を抽出し、その 上で、言説を社会的事実の反映もしくは表象ととらえ、翻 って言説をみることで社会的事実を明らかする「言説研 究」という方法により女相撲や女力士に関する言説の分析 を行い、女相撲に付されたイメージとその変遷、つまり女 相撲の「言説史」を明らかにする。
特に

「女相撲は猥褒な ものである」

という根強い否定的な言説が発生した背景や、 その言説が再生産されていくプロセスおよびその様相を明 らかにすることが中心となっている。

第1章:江戸時代以前の女相撲とその言説 「女相撲」の記録上の初出は、『日本書紀』巻第十四・雄 略天皇十三年(西暦469年頃)九月の記事である。ここで は女相撲が天皇(権力者)の暴君性の描写に用いられてい ることから、女相撲は享楽的で愚かなこと、男性に強制さ れて見せるものというイメージで語られている。
また、歴 史上早い段階から女性の格闘を見て楽しむことに対する欲 望の存在が意識されていたことも指摘できる。
また、中性の説話に表れた女性の怪力、格闘、相撲に関 しては、女性の力を非日常の存在との関係や血縁関係によ り先天的?に与えち?れた人間の手の及ばぬ?もの?と?して語る?様 相がみられる。

このことから、「力」は男性のものであり、 女性に対しては純粋に物理的な力の発揮を期待しない、あ るいはできないものとしてみる観念の存在を指摘できる。

第2章:江戸時代の女相撲とその言説 女相撲が興行として行われるようになったのは、延享元 年(1744)頃の江戸でのことであり、明和5〜6年(1768 〜69)には盲人男性対女性の相撲(盲・女相撲)の興行も みられた。明和年間においては、江戸、上方で複数の資料 がみられ、その中には興行としての女相撲の様子を詳しく 述べたものが存在する。
そこでは女相撲および女力士に関 千絵(ChieIkkai)
指導:寒川 恒夫 し、力強さやたくましさを良しとする反面、「女らしくない」、 「『女としての情』がない」として批判する評価・批判双方 の言説がみられる。
フィクションの文芸作品に登場する女 相撲に関しても、女相撲および女力士にエンターテインメ ントおよびその専門職能者としての地位を認めつつ、女性 としてのジェンダー規範に抵触するものであえとする、興 行としてのものに関する言説と同様の毀誉半ばした態度を 持つ言説が存在していた。
この時点では女相撲に否定的な 言説が寄って立つ根拠は猥褒性ではないことが指摘できる。
窪田春満作 北尾門人三二郎画 安永9年(1780) 『(弾手徐多)空音本調子』十三ウ、十四オ (雄松比良彦1993a F女相撲史論』第二版:雄松比良彦 F女相撲史研究』 京都請仙居 p.277)

第3章:明治・大正の女相撲とその言説 明治に入ると、政治経済に限らず、風俗慣習についても 新政府による新しい秩序の編成が見られた。中でも裸体に 関する規制は厳しく、明治5年(1872)11月の東京府『違 かいい 式護違條例』、および同6年(1873)7月の地方『違式註 違條例』にて「男女相撲並びに蛇遣ひ其他醜鰭を見せ物に 出す者」が処罰の対象になった。
後に法律の改正により女相撲興行の禁止が解け、また裸 体の上にまわしをしめる形式からシャツ・パンツ着用の上 にまわしをしめるという服装で行うように変えて興行が行 われたことで、女相撲興行が行われるようになった。特に 明治23年(1890)11月に東京両国回向院境内で行われた 興行は、当時新聞で大きく取り上げられた。
この時には男 性の大相撲や歌舞伎と同列の扱いがなされ、女力士の容貌 だけでなく相撲や力技の技量、取り組みの内容などに注目 −157 − 人間科学研究 Vol.20,Supplement(2007) し、女力士を力と技を兼ね備えた存在として好意的に評価 する言説がみられる。

第4章:昭和(戦前)の女相撲とその言説 この時期には、女相撲は「エロ・グロ・ナンセンス」、お よび「変態」風俗と関連してとらえられた。昭和11年 (1936)に『歴史公論』(雄山間)第5巻第5号誌上で発 表された平井蒼太「見世物女角力のかんがへ」では、女相 撲と盲・女相撲が混同され、盲・女相撲が猥褒見世物とさ れたという資料から、女相撲はもともと猥褒見世物であり 技芸や力を競う性質のものは江戸時代末期にできたとする 説が提唱されている。
この研究は後の女相撲に関する著作 物にたびたび引用・参考とされるなどし、「女相撲は裸体を 見せる/見ることがその唯一の目的の猥褒見世物である」 という言説の再生産に大きな影響を及ぼしている。 また、民俗的行事としての女相撲については秋田県で雨 乞いとして女相撲が行われた事例が今井晋・明石貞書によ る資料・報告「米代川中流扇田附近の土俗」(民俗学会学会 誌『民俗学』第四巻第二号(昭和7年(1932)2月発行) にて報告されている。

第5章:昭和(戦後〜40年代)の女相撲とその言説 この時期になると、性風俗を扱った雑誌において女相撲 に関する記事が見られる。その中でも、月刊雑誌『奇詳ク ラブ』には女相撲に関する記事が十数年の長期にわたり多 めとみ 数掲載され、「女闘美」(女性の相撲・格闘に見出す美)と いう概念のもとにさまざまな女相撲観が語られた。寄稿家 によりどのような点に「美」や魅力を見出すかに多少の違 いはあるものの、それらはエロティシズムと密接な関連を 持つものとして語る姿勢が共通している。
『奇語クラブ』以 後も性風俗を扱った雑誌において、女相撲が性的な要素、 特にサディズム・マゾヒズムとの関連をもって語られる傾 向は続いている。
秋田県で雨乞いとして行われていた女相撲については、 女性および女相撲を縁れたものとし、それを降雨の原因と する言説は昭和30年代後半からみられる。これは、ある 特定のインフォーマントが自らの民俗学の知識をもとに雨 乞い女相撲に対し「女性のケガレの逆用」という意味づけ をし、それをあたかも地域社会における伝統的・総意的見 解であるかのように提示した結果である可能性が高い。そ して、そのインフォーマントが提供した資料が他のさまざ まな資料に引用、参考として用いられたことにより、女相 撲と女性のケガレ、および降雨の因果関係を補強する言説 の再生産がなされていると考えられる。

第6章:昭和50年代以降の女相撲 この時期においては、性風俗を扱った雑誌のみならず、 一般雑誌においてもビアホールでのショーなどで性的な娯 楽としておこなわれた女相撲をとりあげ、猥褒性を強調し た記事が見られる。
そこではむしろ競技性が排除される文 脈で語られることにより、女相撲は性的なもの、猥褒なも のとする言説の再生産がみられている。 また、平成7年(1995)に発足した女子アマチュア相撲 「新相撲」に関しては、女性が相撲をとることや、競技時 の服装(レオタードおよびまわしを内蔵したショートパン ツからなる「グラップリング・ウェア」)に対するマイナス イメージを強調する言説がみられる。また、新相撲の選手 に対しては「好みのタイプは」という質問に代表されるセ クシュアリティ、とりわけ男性との関係に注目することに より、男性の相撲選手とジェンダーの差異化を図る言説の 存在を指摘できる。
平成11年(1999)の世界大会開始後 は、好成績をおさめる外国人選手に対してはまわしをしめ ることを恥ずかしがらないことを良しとし、アスリートと しての立場を重視する好意的な言説がみられる。日本の選 手に対しては依然としてマイナスイメージをもって語る姿 勢から脱却し切れていない一方で、世界大会という国際的 な舞台においては「国技」である相撲の担い手として好成 績を期待するという、方向性の食い違った言説の併存を指 摘できる。
これは、日本の選手に対しては、猥褒視されて きた興行女相撲との連想から新相撲が純粋な競技スポーツ とみなされづらく、その一方、外国の選手に対しては(彼 女たちにとっての)ニュースポーツへの挑戦者として猥褒 視・蔑視の対象とせず、比較的好意的に受け止め、語ると いう様相につながっていると考えられる。

終章:まとめ 冒本の女相撲に関する言説においては、興行としてのも のを中心とした猥褒視に基づく否定的な言説の度重なる再 生産、およびその言説が他の類型の女相撲に関する言説に も影響を及ぼしていることが明らかとなった。
この影響は、 現在競技スポーツとして国際化している新相撲にも見られ る。しかし新相撲はまだ歴史が浅く発展途上の競技である ため、これからの発展の如何によっては、猥褒視およびそ の再生産とは異なった言説の展開が見られる可能性がある。  
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